宗教音楽が私に教えてくれたもの

私は「人間には肉体と霊体がある」という考え方を支持しています。

霊体は、肉体とは違うものを見ていることが、こちらの記事で紹介されています。

◯人間誰しも霊魂があり、その霊魂は神様に逢いたくて逢いたくて待ち焦がれている!(十二弟子・NANAさんの証)

この記事を読んだ後、ふと「私がここまで音楽にのめり込んだのは何故なんだろう?」と考えてみました。

私は高校生の頃から生物の授業が好きで、将来は免疫学の研究者になりたいと思っていました。

それで生物化学を専攻するために農学部に進学したのですが、なぜか入学してから音楽漬けの日々になっていきました。

さらに、大学2年の頃にアマチュア合唱アンサンブル(少人数の演奏形式)に所属したことをきっかけに、音楽が人生になくてはならない存在になっていきました。

その頃から個人レッスンにも通い始め、現在は音楽を続けるために正社員の仕事も辞めて没頭しているような状態です。

なぜここまで音楽にのめり込んだのだろうか…?

合唱アンサンブルでは、主にルネサンス音楽、バロック音楽の作品を中心に歌っていました。

当時は、パレストリーナ、バッハ、バードなどの作品を扱っていましたが、それらの音楽があまりに素晴らしく、私の心を鷲掴みにしてすっかり虜にしてしまったのです。

メンバーの中にはクリスチャンはほぼおらず、食べることが大好きな人ばかりだったので、普段の練習風景は本当に肉的です。

皆と歌って語らって食べる。笑う。正直なところ、そのために練習に来ていた側面も大きかったです。

それでも、皆の息が揃い、響きが作られ、うねりが生み出される。息と音がぴったりはまった瞬間、倍音がその場を満たしていく…。

その響きは、”もはやこの世のものではない”と直感せざるを得ないものでした。「この響きをいつも感じていたい!」私は歌いながらいつもそう思っていました。

これを「人間には肉体と霊体がある」という観点で考えたとき、私の霊はその響きの中で神様を見ていたのだと思いました。

また、賛美を聴きにきてくれた天使たちとともに、喜びを感じていたのだと思いました(御言葉によれば、私たちが祈ったり賛美したりすると、天使が近くまで来て聴いてくれるそうです)。

私の霊にとってその瞬間こそが至福の時であり、それを求めて私は音楽漬けになっていったのではないかと…。

これを悟ったとき、私を宗教音楽に結び付けてくれた二人の方たちに対する感謝の気持ちが波のように押し寄せてきました。

もはや感謝という言葉では表せないほどの、強烈な感動です。

その方たちとは、今は亡き恩師と、当時就任したばかりの指揮者でした。

「ピアノが少し弾けるだけで歌はまったく初めて」という私に、息・声の扱い方、ラテン語の発音など、初歩的な知識を含め何度も何度も忍耐強く教えてくれました。

そして、宗教音楽が持つ素晴らしさを知るきっかけを与えてくれました。

今私が音楽の道を歩んでいるのも、このお二人がいてくれたからこそなのです。

恩師を通して知り合い、師事することになった先生から「音楽は祈りであり、愛を伝える手段である」と教えていただきました。

そしてそれを体感する経験を何度もさせてもらいました。

目の前で、自分の歌を聴く人が涙を流して感動してくれる・・・この時の熱い気持ちは言葉にすることができません。

当初の「ルネサンス音楽って、何かいいかも」くらいの小さな気持ちが、年を経るごとに熱く大きくなり、強烈な想いに変わり、もはや私一人の力では到底止められないくらいです。

これが私の行くべき道なのだと、様々な事柄を通して教えられていると感じます。

最後に・・・

お母さんと子供たちに聴いてほしいなと思う素敵な曲があり、近々その録音をしてきます。

OKテイクが録れたら、このホームページで公開したいと思いますので、改めてお知らせさせていただきます。

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