久しぶりに残業をしました

先日、久しぶりに残業らしい残業をしました。

最近は仕事にも慣れて残業も減ってきましたが、給与計算の締め日前は数字を合わせるために必死です。

周りの人が交わす会話を聞きながら、この職場は今までと全く違う世界なのだ…と改めて感じました。

良くも悪くも縦割りの仕事が多く、定められた期日を守るなら、ある程度自分の裁量で仕事のペースが組めるのです。

皆モラルの高い人が多く、誰かが誰かを叱ったり責める場面は見たことがありません。

危機が訪れれば皆が助け合い、秩序を守って乗り越えていきます。

職場のモラルや雇用が守られ、各自の人格が尊重されているという印象を受けます。

そのせいかどうなのか、中にはけっこうマイペースな人もいたりします。

私はどうしても、そんな人たちを見ながらいいなぁ…と思ってしまう気持ちが否めません。

私が今までいた環境では、仕事が遅かったりミスがあった時に「すみません」の一言では済まされないことも多かったです。

私もマイペース中のマイペースの一人でしたが、特に新卒当時の会社で生きていくには沢山のことを捨てなければいけませんでした。
 
与えられた責任範囲が大きく、自分のミス一つでお客様の業務に大きな影響を与えてしまうこと、毎日物流が動いているために一分一秒を争う場面が多かったことは、大きなプレッシャーでした。

今から考えても20代の若い子が心を正常に保ち、前向きに仕事を続けるのは難しい現場でした。

つまり、そんな環境にいたので、現在の職場でマイペースが許され、各自の中で改善、成長を求めない姿勢がある程度許されてしまうと感じることが、私には耐え難いのです。

なぜ私はこんなに許容範囲が狭いのか、こんなことばかり考えてしまうのか…と祈っていたら、私の中には未消化の想いがたくさん残っていると気付き、今はそれらを悔い改める毎日です。

当時は奪われたものがあまりにも多すぎたと感じていましたが、そのおかげで身についたスキルがたくさんあり、今ではとても感謝しています。

愛のない世界で叩かれるのは、ただの苦痛で希望も何もありません。

反骨精神のある者、ずる賢い者だけが生き残り、そうでなければ心はどんどんすり減っていき、ついには精神を病んでしまいます。

でも、神様の元で愛のある世界で叩かれることは希望です。

側で必ず神様が支え、より良く変われるよう絶えず励まし、行くべき道を示してくださるからです。

そんなことを考えた週末でした。

参考記事:

◯RAPTブログに出会い、生きる目的がどんどん明確になり、人生が絶望から希望へと変化した(十二弟子・エリカさんの証)

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