私は以前、フルタイムで働いていた頃にメンタルが落ちまくった時期があります。
その頃の私は、家族からの手助けも少ない中で毎日心身ともにヘトヘトになるまで働いて、家事をして、子供の面倒をみて、自分の時間は昼休みの数十分だけという生活をしていました。
言うことを聞かない子供に対して辛く当たることも多く、出来ないことだらけの自分に自己嫌悪を感じまくりでした。
毎日どんなに身体がしんどかろうが、どんなに心が弱ろうが、延々と取り組まなければいけない仕事、家事、育児…。
一日を乗り越えるのがやっとなのに、こんな大変な事を永遠に続けていくんだろうか?
仕事、家事、育児全てが辛くて、何で私にはこんな人生しかないんだろう、誰がこんな世界を作ったんだろう、と恨んだこともあります。
保育園に子供を送ったあと、辛さが込み上げて涙が止まらなくなり、会社に遅刻したことも何度かあります。
子供を預けた後にせめて一瞬だけでもホッとする時間が欲しいのに、これから会社という戦場に向かわなければいけない…。その重圧に心が耐えられなくなったのだと思います。
毎日頭も心もフル回転なのに、ちっとも合格点に届かない。
育休前のように頭がうまく働かないし、その自覚がある。
当然、こんな私が人並みに休んではいけないと思っていたから、子供と仕事から解放される唯一の時間である昼休みも短時間で切り上げて仕事に戻る。
自分に厳しくやっていれば、なんとか乗り切れるだろうと思っていたけれど、現実はそんなに甘くなかった。
時間が経つにつれ、仕事も家事も子供も、全てが自分の手に負えないものになっているということに気づきました。
周りの誰もかれもが敵に見えてしまう。
心も体もしんどすぎて、とりあえず一人にしてほしい。
元々キャパの少ない私が子供を持ちたいと思ったことが間違いなのだろうか。
どうしたらこの苦しみから逃れられるのだろうか。
何度も考えました。
ほんの少しの手助けでいいから欲しい。
ほんの少しの休息でいいから欲しい。
そんな風に毎日思っていました。
そして…
信仰を持った今、自分には肉体だけでなく霊があることを知り、当時の生き地獄のような辛さの原因が分かりました。
どんなに身体を休めても埋まらない心の辛さ、渇き、寂しさ。
それは自分の霊が傷だらけで、今にも死にそうな状態だったからだと分かりました。
そしてその辛さ、渇き、寂しさをお祈りによって癒すことができると知りました。
お祈りの時に受けるのは、愛であり、聖霊であり、電磁波です。
その電磁波は心の隙間を埋め、トラウマや傷を癒やし、安らぎを与え、生きる希望を与えてくれます。
自分をどこまでも成長させ、与えられた人生を全うしたいという強い思いを抱かせます。
少しずつ、でも確実に心に広がっていく安堵感、充実感を初めて感じた時の喜びは、言葉にすることができません。
当時の辛さ、渇き、寂しさは、この愛以外では癒すことはできないと、はっきりと悟りました。
この感動をもっと多くの人に伝えたい。この世に本当の安らぎと希望があることを知って欲しい。
そんな思いで、この言葉を綴っています。
どうか悩めるお母さんたちが、この愛を受け取ることができますように。
たくさんの人が御言葉に辿り着き、救いと安らぎを得ますように。
心から祈っています。
参考記事:
◯自分にはもう一人の自分である「霊体」がいることを知って、本当の幸福を実感して生きられるようになった(十二弟子・KAWATAさんの証)