五体満足で生まれた意味

私は一卵性双生児の未熟児として生まれました。

ガリガリに痩せて生まれたので、両親は「この子は助からないかもしれない」と思ったそうです。

生まれてから1ヶ月間、保育器の中で暮らした後に母と共に退院しました。

私が生まれた当時は、後継となる男の子を欲しがり女の子は不要と考える風潮が残っていて、赤ちゃんが女の子だとわかるとまれに中絶するケースがあったようです。

そのため、母が通っていた産婦人科のお医者さんは「大きな男の子ですねぇ」とごまかし、生まれる直前まで赤ちゃんが女の子だと明かさなかったようです。

まだ会ったこともないお医者さんが、そのように私の命を守ってくれたのかと感謝を感じます。

そして数十年後。ガリガリに痩せて生まれた赤ちゃんは、どんなに叩かれてもへこたれない、強い精神を持った大人になりました。

この世の全ての人が五体満足に生まれるわけではありません。そんな中、なぜ私が五体満足で生まれて現在も命が守られ、健全に生きることができているのか。なぜ私には人一倍丈夫な心や手足があるのか。

それは、その心を使って神様の心情を感じ、その手を困っている人に差し伸べるためではないか。それこそ神様が望んでいる生き方ではないか。そんな風に思います。

人間一人の力で出来ることはたかが知れていますが、神様の力を借りるなら地球の裏側にいる人だって救えます。

私の手足を神様が喜ぶことに使えば、人間業以上のことができます。

この結論にたどり着いたのは、人生に意味が見出せず、精神的などん底を経験したからかもしれません。

学生の頃は数年ごとに入学や卒業などのイベントがあり、今を生きているという実感や充実感がありました。

でも、社会人になってからは心の中が地獄でした。

仕事を終えた後や友人と別れた後、一人で過ごす時間に襲ってくる大きな虚無感。

この先何十年も仕事して、食べて飲んで寝て、僅かな休暇を取って、子を生んで老いていく・・・

それを繰り返して皆死んでいくのだという考えが頭によぎり、ゾッとしました。

特に優れた能力のない一人のOLが、生涯稼げる額なんてたかが知れています。そしてお金を使って得られる充実感なんて一瞬しか持ちません。

この先の人生が見えてしまった気がして、そんな虚しい毎日を繰り返すために生まれてきたのかと絶望感に襲われました。

そして今、目の前で過ぎ去っていく1分1秒の時間・・・それが死に向かっているのだと分かり、このままではいけないと思いました。

そんな中出会ったのがRAPTブログでした。

五体満足で生まれたこの身体と心を最大限に生かす、そんな生き方を教えてくれました。

参考記事:

◯RAPT有料記事10(2015年9月18日)この世の荒波に打ち勝つ方法。

◯RAPT×読者対談〈第86弾〉人生の取扱説明書の値段はいくらが適正か?

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