自分自身の価値に苦しんだ高校時代

周りが見えてくるお年頃

子供の頃は自分のことだけ考えていればよいのですが、高校生くらいになるとそうはいかなくなります。

私も高校に進学した頃から様々なことが見えてきて、余計な悩みが増えました。例えば以下のような・・・

  • 自分の家庭環境が友達と比べてどうか
  • 自分が他人からどう見られているか
  • 自分は将来何になりたいのか
  • どんな物を手にすれば幸せになれるのか

また、小さい頃から勉強はよくできる方でした。

これは後から考えれば、勉学の環境を整えてくれた両親のおかげとしか言いようがないのですが、「頭がいい」と言われ都内で指折りの偏差値の学校に行きました。

登校し始めて1週間、才能だけの人と、才能に加えて努力をした人の違いがはっきりと分かりました。

そして自分は、才能だけの人だった、つまり元から持っていた才能を鼻にかけていただけで、努力を持ち合わせていなかったことに気づき絶望しました。

学校で教わったことと現実が違いすぎる

小学生頃までは目にする世界全てが善悪二元論で、必ずヒーローと悪者がいて、最後は全てハッピーエンドでした。

学校では「努力」、「希望を持つ」、「善」、「清く正しく」これが良い物と教えられてきました。でも、ふと現実に目を向けると・・・

様々な政治家が金の問題で捕まる。爽やかなイメージの芸能人が裏では犯罪スレスレのことをしたりしている。

アーティストも「性の乱れ」や「暴力」、「麻薬」を肯定している。

これらの事実が見えてきたとき、 頭が混乱しました。それに、皆の救いの筈である仏教のお坊さんも「この世はいい人が救われると限らない。善悪ごちゃ混ぜの世の中が当たり前」とか言っている。

周りの物差しがあまりにバラバラで、何が善で何が悪なのか、何もかも分からなくなりました。

さらに、どんなに努力をしても成功できない人もいれば、対した努力をしていないのに欲しい物を次々に手に入れている人がいることに気づきました。

幼い頃から英才教育を施され、若くしてスポーツ界、芸術界で注目される人もいます。成功をもてはやされている人が結局コネだったという話も聞きます。

「そうだとしたら、良いお家柄でもなく金銭的な余裕もない人たちは、努力することは無意味なのだろうか?」、「私たちが生きているのは、努力によって報われない世界なのだろうか・・・」と考えるようになりました。

自分の価値がわからない

高校卒業後の進路を考えた時、自分の価値とは何か?に悩みました。その頃の私は・・・

友達関係、部活動、親との関係にも失敗し、毎日意欲が沸かないために遅刻ばかり。

父は毎日深夜まで働き、帰宅は午前様でほとんど顔を合わせない状態でした。母は早朝の仕事に就き、子供を大学に行かせるために学費を稼いでくれていました。

そんな両親の思いも虚しく、世の中のことが分かり始めたために毎日毎日、失意のどん底で無気力状態でした。

自分は何ら価値のない人間であるという事実があまりに辛すぎて、朝顔を洗う時に剃刀の刃を手首に当てたこともありました。涙がこみ上げてきたので手首を切ることはやめましたが・・・。

クラス友人の死

高校3年生の頃、夏休み明けの始業式当日にクラスの子が急死しました。

身近な人が死ぬことを初めて体験した日でした。死因は突然死とのことでしたが、後になって自殺と分かりました。

これは衝撃の経験ではあったものの、私にとって「死」は遠いものではありませんでした。

不謹慎にも「彼女はどうやって死んだのだろう?お葬式で目にした顔は綺麗だったから、睡眠薬を飲んだりしたのだろうか」と、彼女がどうやって死の切符を手に入れ、自由の身になったのかが気になりました。

自分の価値に悩むより価値を上げる努力をする

そんな風に悩んでいた高校生は、現在、このように自分の黒い部分を客観的に記事にしたためることができるほど大人になりました(笑)。

「あの時死ななくてよかった」と、いつも思います。

自分の価値が分からなくなる時がまったくなくなった訳ではありません。今でも仕事や人間関係で大きなミスをしたとき、「なんてバカなんだろう」、「こんなミスをするなんて、自分で自分が分からない」と思います。

でもそんなときはすぐに反省し、いつも私を支えてくれる存在のことを考えます。

私たちが今住んでいる世界は、善と悪がごちゃまぜになり、クリーンに見える政治家も裏では悪いことをしていて、誰が正しくて誰が悪なのかまったく分からなくなっています。

そのような状況なので、頭の中で矛盾や疑問が次々に湧いてきて、処理しきれずにパソコンのようにフリーズしてしまうのです。

どんなに性能が良いパソコンも、インストールされたプログラムにバグがあるなら、正しく動かずにフリーズしてしまいます。

さらには今コロナウイルス騒動で様々な報道がされていますから、余計に情報が氾濫して訳が分からなくなっている人もいると思います。

私は都内に住んでいますが、都内では人身事故で電車が止まるのが当たり前の光景になってしまっています。

それぞれ理由は異なるにしろ、冷たい電車の車輪の下で肉体が粉々になって命を失うという、あまりにも残酷な手段を選ぶしかない人が沢山いることに大きな悲しみを覚えます。

この記事を読んでいるあなたが、もし絶望感に囚われてどうしようもないと悩んでいるなら、先入観を全て捨て去ってこの世のカラクリを一から学び直してみるのはいかがでしょうか。

私が高校生の頃には出会えなかった、この世のカラクリ全てが論理的に解説されたブログがあります。

ブログの著者、RAPTさんはクリスチャンですが、宗教に興味がない人にもおすすめします。

沢山の記事がありとっつきにくいかもしれませんが、下記の記事から読み進めるとよいかもしれません。

いくつか読んでもらえたら、彼の言葉の裏に隠された熱い想いが伝わる筈です。

●天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。

●天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。

●JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか。

●悪魔崇拝はあるのか? エリザベス女王とローマ法王による5万人の幼児虐殺事件について。

自分の価値はどこにあるのか、周りと比べてどうなのか、これを追求し続けると泥沼にハマります。

自己啓発、スピリチュアル、様々なセミナー通い、神道、食養といったことを一通り経験してきましたが、これらは悪魔崇拝を源流にしており、大して重要でないものを重要と思わせ、人間が真に力を注ぐべきものから目を逸させます。

●自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。

それよりももっと徳の高い人間、真に価値のある人間になれるよう、自分の心と身体をきちんと管理し、能力を磨くことに時間を使うべきであると思います。

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