今日はおひなさまですね。
子供が大好きな海老フライを作りましたが、本人は家に帰り着く前から夢の中です…。
小学校就学に向けてお昼寝がなくなったので、夕方には眠気が最高潮になるみたいです。
もうすぐ保育園を卒園するんだなと様々なことを振り返っていたら、フルタイムで仕事していた頃を思い出しました。
その頃私は、毎日髪を振り乱しながら子供のお尻を叩いて、保育園に送り届けていました。
あんなに毎日怒って、鬼のように自転車にまたがり(笑)保育園に行かせてたけど、これで良かったんだろうか、と考えてしまいます。
心や自我が育つ時期に、「母が会社に遅刻しないため」という、たったそれだけの理由のために怒られてばかりだった子供。
母である私がプレッシャーに弱いばかりに、事あるごとに怒ってしまっていました。
子供の体調は、毎日安定していないのが当たり前です。
- 職場での信頼を損なわないため
- ◯◯さんならちゃんとやってくれるという評価のため
- ワーママらしく振る舞うため
そんな小さな事のために、まだ眠いとか保育園行きたくないとか言っている子供のお尻を叩きまくり、二度と戻らないこの大切な時期を心ここに在らずの状態で過ごしてきたと気付きました。
今日、保育園の教室を眺めていたら「卒園まであと◯日」と書いたカレンダーを見つけました。
子供を自転車に乗せることも、手を繋いで登園することも、あと数えるほどしかないのです。
思えば数年前、仕事に復帰して数ヶ月経ったくらいから、望んで授かったはずの子供が厄介者のようになってきて、子供にまつわること全てが面倒くさいことに思えてきました。
毎日眠たくてしんどくて、頑張らなきゃいけないけど全てがめんどくさい。そんな状態です。
私たち夫婦は子供をなかなか授からず、欲しいと思ってから一年半くらい経ってやっと授かりました。
それなのに、望んで授かった子供に「生まれてきて良かった」と思えるような時間を過ごさせてあげられているだろうか。
いつか私の元を離れていく子供に、親として様々なプレゼントをしてあげられているだろうか。
子供への態度全てが思いやりのかけらもなく、言うことを聞かせる道具や所有物のようになっていたんじゃないだろうか。
当時から今までを振り返ってみて、そんなことを考えるようになりました。
私は高校生くらいから人生に絶望してひねくれていたので、自ら望んで心を無くすように過ごしてきました。
その結果、普通の人なら感じるであろう様々な感情が欠如している状態です。
そんな母親が子供を授かり、今まで捨ててきた様々な心に気付き、子供と一緒に心を育てる経験をさせてもらっています。
このことこそが、神様からの最大のプレゼントなんじゃないかと気付きました。
子供に対して今まで感じたことのない思いが生まれてきて戸惑っているのですが、ここに来て初めて、人並みの母性本能を持ちつつあるのかもしれません。
そのような導きに、感謝しかありません。
参考記事:
◯RAPTブログを読んで、本当に子供のためになる子育ての方法を知った!!(十二弟子・ミナさんの証)
◯自分の霊魂に気を遣って生きることで、心も体も疲れなくなり、いつも元気に活動できるようになった(十二弟子・NANAさんの証)