小学校入学前の検診

先日、子供の小学校入学前の検診がありました。

仕事を早退して子供を迎え、検診に向かったのですが、小学校の建物に入る前からとてつもなく大きな心の苦しみを感じました。

なぜこんなにも苦しい気持ちになったのかしばらく分からなかったのですが、今日祈っていて悟ることがあったので、書かせていただきます。

久しぶりに訪れる小学校という場所は、信仰を持ち、RAPT理論を知ったこともあり今までとまったく違う環境に見えました。

RAPT理論で暴かれたとおり、今常識として教えられている知識には、膨大な嘘が混じっています。

理科、科学、化学、社会、政治・・・

その膨大な嘘が、子供たちの小さな頭の中にたくさん詰め込まれるかと思うと、いたたまれなくなりました。

検診では、比較的若手の先生方が対応してくださいました。

個別面接のための待合室で誘導に当たっている先生がいましたが、ひたすら右から左へ座るよう親子を誘導する、ということをされていました。

その様子を見ながら、何年も教師という仕事に携わり、同じことの繰り返しを苦と思わないように自分を作ってこられた(作らされた?)のかなと思い、その方自身の霊魂は苦しんでいないのだろうかと考えてしまい、それもまた苦しく感じました。

思えば、私が中学生のときに頻繁にため息をつきながら授業に臨む先生(40歳代後半の女性)がいましたが、その先生もこのような苦しみを感じていたのかなと思うと、その一挙一動に納得がいきました。

成長できないことや、同じことを繰り返してばかりの毎日は、霊魂にとってとてつもない苦しみなのだと御言葉で教えていただきました。

世の中の仕事も、組織が大きくなるほどに「ただ会社を回すために処理する」という退屈な仕事も多く、多くの人が苦しみを感じざるを得ないのではと感じます。

そんなことをぼんやり考えた一日になりました。

最後に、11/11は祝祭の日で、私は後日そのお祝いをしました。

神様の心情を汲み取れなかったと思われることがあり、きちんとお祝いできたとは言えない一日となってしまいましたが、後日証をしたいと思います。

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