※上の画像は、子供にせがまれて描いた「おしりたんてい」のキャラクターたちです。
子育てをしていると、「待つ」とか「見守る」という時間が結構あります。
子供の成長を促すためには、率先して手を出すより「まず子供にさせてみる」ことが大事だったりします。
そんな時、じっと待つだけ・・・というのは結構しんどいです。
私は、子供と二人で過ごす時間は神様とお話することにしています。
これを始めてすぐの頃は、何かが起こるたびにすぐ目の前のことに囚われてしまうことも多かったのですが、だんだんと目の前で起こることを客観的に見ることができ、絶えず神様とお話することができるようになってきました。
そんなある日、子供を寝かしつけていたところ、寝ついた子供の顔が「棺桶に入った子供の顔」のように見えました。
不思議に思って神様に尋ねたところ、「ちゃんと弔ってあげたかった」という言葉が頭に浮かびました。
その後少しの間お祈りをしたところ、私が前職の仕事を辞めるにあたり「虐待で亡くなる子供を減らすために音楽活動がしたい」と会社のメンバーに伝えていたことを思い出しました。
私が音楽活動を人生の軸にしようと決めたのは、大阪二児餓死事件を知ったことがきっかけでした。
大阪二児餓死事件とは、離婚した母親が水商売をしながら2人の子供を育てようとするも、ホストクラブにハマって家に帰らなくなり、真夏の炎天下の中子供を置き去りにして餓死させたという事件です。
(興味のある方には、杉山春さんの著書をお勧めします。事件に至るまでの経緯を詳細に記してあり、とても考えさせられる一冊です。)
神様は、この事件に限らず身近な人にきちんと弔ってもらうこともできずに命を落とす子供たちをご覧になり、誰よりも心を痛めていらっしゃったのだと思います。
お祈りの中で神様の心情が伝わってくると、その感情の大きさにびっくりすることばかりです。
神様の愛、怒り、悲しみ・・・それらの激しさや深さ。それは人智を遥かに超えていて、何かに例えることができないほどです。
私もまだ信仰を持って数年の身ですが、その心情をどこまでも悟りたいともがく日々です。