日本において「宗教をやっている」と聞くと、多くの人が偏見の目で見るのではないでしょうか。
私もかつて、その一人でした。「宗教は危ないもの」、「宗教は心の弱い人間が信じるもの」そのような偏見を持っていました。
しかし現在、私はクリスチャンとして毎日を生きています。教会などには通わず、一人で信仰生活をしています。
信仰が与えてくれた最大のプレゼントは、一言で言えば「人生に迷わなくなり、毎日心満たされて生きることができる」です。
現在は2社目に勤めた会社を退職し、子育てをしながら音楽家として自立すべく道を探しているところです。
なぜ私が信仰を持つに至ったのか、お話してみたいと思います。
宗教に対するかつてのイメージ
かつての私が宗教に対して抱いていた悪いイメージはこんな感じです。
全般:
危ないもの、偏っている、妄信的、周りが見えなくなる、熱狂的、押し付けがましい、幸せにはなれない
(イスラム教や、カルト宗教信徒のイメージから)
神道:
神聖な、清く生きられる、良いもの、家がきれいになる
(蝶々、こんまりのイメージから)
仏教:
冷たい、元気がない、退屈、おどろおどろしい、怖い、俗的、お金
(精進料理や、お寺、住職の雰囲気から)
キリスト教:
戦争をよしとする、恐怖を植え付けたがる、型にはまっている、退屈
(歴史の授業、大学の礼拝等のイベント、キリスト教絵画のイメージから)
・・・非常に失礼な話ですが、上記のように感じていました。
特にキリスト教については、中学の歴史の先生が面白おかしく「右の頬を打たれたら左の頬を向ける」話や十字軍の話をしていたのを聞き、なぜそんなメリットもなく危険なものを西洋人は信じるのだろう、と思いました。
また、大学やその他いくつかの教会の礼拝に参加したことがありますが、どこも聖書の限られた部分を繰り返し朗読し、新しいことは何一つ行わず、牧師や信者が決まり切った話を繰り広げるのみで退屈な時間でした。
教会に通うクリスチャンたちは、何が楽しくて信仰生活を送っているのかさっぱり分かりませんでした。
なぜ信仰を持つことができたのか
そのような状態だった私が、なぜ信仰を持つことができたのでしょうか。
それは以下の条件が重なったからだと思います。
- 10代後半くらいから、この先の人生70年を生きるのが地獄だなと思っていた
- 20代の時期を仕事、恋愛、自分磨きに捧げたが、心がカラカラに飢え渇くばかりで耐えられなかった
- (上記の経験から)何のために一人一人に人生が与えられるのか知りたかった
- 2014年頃からRAPTブログを知り、RAPT理論を理解することができた
RAPTブログから目が離せなくなったのは、日本神話についての話が出てきたあたりです。
◯「天照大神」「スサノオ」「ツクヨミ」による権力争いと世界支配計画。現代まで続く「日本神話」という現実の物語。
日本神話が現実になっているという衝撃と、支配層たちは実は神様や悪魔を心から拝んでいるという事実。
支配層が行う悪事は、生贄、人工地震、殺人、土地の強奪など、もはや人間業ではないものばかりです。
そのようなとてつもなく大きな悪事について知るにつれ、”悪魔崇拝”の存在が理解できるようになりました。そして、悪魔が実在するなら、天使や神様もいるじゃん!と思えたのです。
自己啓発にお金を注ぎ込んだ時期
思えば20代の頃の自分は、笑ってしまうくらい毎日必死でした。
周りの大人が誰一人として幸せそうに見えなかったため、”この先地獄になるばかりの人生から脱却したい”と思って読んだ自己啓発本・恋愛指南本は多岐に渡ります。
佐藤富雄、中谷彰宏、デール・カーネギー、蝶々、壇蜜、などなど、100冊は超えるのではないかと思います。そんな本ばかり読んで、マニアだなと思います(笑)。
「愛されてお金持ちになる」シリーズで有名な、佐藤富雄主宰の講座にも参加したことがあります。
費用4万円ほどで、一般人は入ることができない会員制クラブで行われました。フリートーキングで本人と会話ができるのですが、とてもめんどくさそうに対応していたのを覚えています。(笑)
賢くなりたいと思って、日経アソシエ、日経ビジネス、東洋経済、日経新聞、日経MJ新聞などを毎日読みあさっていました。
(結果、大して賢くなる訳でもなく、不安ばかりに苛まれましたが・・・)
蝶々の本は、読んだ瞬間は「私デキる!私ちょー輝いてる!」とその気にさせてくれるのですが、6時間くらいしかその感動が持続しませんでした。
そのため「効果が切れる前に、暗記するくらい読まないと」と思って毎日カバンに忍ばせ、起床後、通勤時間、寝る前と日に何度も読んでいました。
しかし数ヶ月続けてみてもその状態から脱却できず、本と現実のギャップに大きな絶望感を感じました。「また、これも真理じゃなかったのか・・・」とがっかりしました。
”心が飢え渇く”状態を脱却したいともがいた20代・・・。
信仰生活を送るようになり、人間には霊と肉体があることがわかり、”心が飢え渇く”のは自分の霊が飢え渇いていたのだとわかりました。
それを正しく”充電”する方法も知ることができました。それは、神様に祈り、聖霊という電磁波を受けるという方法です。
◯悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。
温泉に入ったり、旅行に行ってリラックスした時とは比にならないくらい、強力な、持続する充電ができるのです。
信仰生活のメリット
信仰生活の目的は、”神様と相思相愛の関係を築く”ことです。メリットなどというと神様に怒られてしまいそうですが、いまいちピンとこない方もいるかもしれないので、ここに挙げてみます。
そのメリットとは・・・
- 心の渇きを感じることがない
- 何かに迷うとき、ひらめきを得られる
- 思い煩っていたことが自然と解決する
- 何か困難が解決するとき、自分一人だけでなく周りのみんなが幸せになる方法で解決する(人間業じゃない)
- 自立し、一人の人間として完成することを目標に成長し続けることができ、間違った道に行かなくなる
- 必要な情報が向こうから飛び込んでくる
- 必要なものが必要なタイミングで与えられる
私の場合は子供といる時間が長いので、育児に関する思い煩いが多いです・・・。
しかし、そのような思い煩いでも、お祈りすると様々なひらめきをもらうことができます。それをすぐに実行すると、いろんな歯車が噛み合い、様々なことが上手く回りだすということが起こります。
また、お祈りの時間を十分に取れた日は、子供が必ず早起きしてくれます(笑)。率先して家事をやりだすこともあります。
既成の教会では、旧約聖書・新約聖書しか読むことができないため、頑張っても神様と親子の関係にしかなれません。
しかしRAPTさんが宣布する御言葉には、それ以上の恋人の関係、”相思相愛の関係”になるためのヒントがたくさん詰まっています。
神様が「これこれ!あなたの行くべき道はここだよ!」っていう道に行くと、ドカン!と雷のように聖霊が降り注ぐことがあります。
先日もお祈りをしながらネットで調べ物をしていたところ、初めてそのような経験をしました。まさに何かが心の中?で爆発した感じです。椅子に座っていられずに、思わず立ち上がって号泣してしまったり・・・
信仰生活をしていると、突然悟ることがあって涙ぐんだり、突然悲しみや怒りが伝わってくることがあり、その様子は誰にも見せられないような状態です(笑)。
でも逆に、その時間は神様と一対一で対話する幸せな時間なので、この先自分がどんな風になっても別にいいや、という感じです。
「自分は一人ではない、神様と24時間一緒に生きている」と思えると、自然と身なりも整い背筋も伸びるし、世間がどんなに騒がしくても心配に思うことは一つもありません。
常に「神様が喜ぶ道はこれですか?」と心の中で尋ねながら、全てを委ねる気で毎日を過ごしています。
誰よりも大きなバックアップを24時間365日受けられること、世間の様々な波に囚われることなく強く生きられること。
こんな大きなメリットがあるなら、試してみない手はないと思いませんか?
迷っている方がいるならば、ぜひ、RAPTブログの有料記事のVol.1から読み進めてみてください。