この世になぜ音楽が生まれたのか。
素晴らしい音楽に触れるたび、このことについて考えさせられます。
賛美(音楽)は、信仰の四本の柱の一つで、信仰者の成長を支える大切なものです。
◯RAPT有料記事128(2016年12月12日)豊かに聖霊を受けるための基本的な信仰の4つの柱。
Ennio Morricone氏の音楽を聴きながらあれこれと考えていたら、音楽とは言葉では表すことができない想い、心情を表す手段であり、神様はその心情を悟ってほしくてこの世に音楽を作られのではないかと気付きました。
RAPTさんの御言葉が教えてくださるように、神様は子供のように純粋な心と、燃え盛る激しい炎のような愛、感情を持った方です。
私たちから見ると些細な出来事であっても、神様は子供のように喜ばれたり、深く悲しまれたり、傷付かれたりします。
その清らかな愛に満ちた繊細な心を分かってほしくて、この音楽という素晴らしい贈り物をされたのではないかと思いました。
私たちが普段感じている「嬉しい」、「悲しい」といった感情。
それら一つをとってみても、一瞬として同じものはなく、何千、何万通りもの感情があります。
ましてや、私たち人類を造られた時から深く愛し、旧約聖書から現代に至るまで見守ってこられた神様の心に秘められた想いは、どれほど熱く、深いものなのでしょうか。
その心情を悟るたびに、もっと知りたい。もっとその心に触れ、神様が感じてこられた全ての思いを分かち合いたいと熱く思います。
RAPTさんの元で本当に優れた音楽が生まれ、言葉の垣根を超えて神様の心情を余すことなく伝えられるなら、どれほど良いでしょうか。
これからもこの地で、神様を心から愛する音楽がたくさんたくさん生まれ、奏でられますように祈ります。
賛美は目に見えない愛の文通のようだと思い、冒頭に手紙の画像を飾ってみました。
賛美の素晴らしさを教えてくださる神様、NANAさん、そしてRAPTさんに心からの感謝を捧げます。