先日、神様のためにもっと時間を使いたいと思って、大きな決断を実行に移しました。
1年以上かけて準備をして、4年半過ごした職場を退職しました。
その後、時間が自由になる分、今まででできなかったこともきちんとやらないとな・・・
と思っていたのですが。
なぜか、私の一人の時間が増えるように、様々なことが回りだしました。
まず、子供の習い事の送り迎えは、今までどおり祖父母が行くことになりました。
また、学校終わりのお迎えも、祖父母の今までのルーティンがあるし、孫の顔を見たいということで今までどおり祖父母が行くことになりました。
さらに、今まで毎日夫の夕食を準備していたのですが、夜が遅いので胃もたれするということで、作らなくてよいことになりました。
以前から、食事(買い出し、準備、食事、片付け)にかける時間が膨大だなと思っていて、とにかくやりたいことの時間が取れるようにと色々な工夫をしていたところだったので、本当にびっくりしました。
そうなると・・・
子供を学校に見送った後、「毎日、自分の時間が持てる」どころではない日常がやってきました。
自分に自由な時間があるなんて、いつ実感したのかもう記憶にないくらいだったので、心の底から驚きです。
「声楽を続けなければいけない」
「声楽を続けるために、仕事をしなければいけない」
「職場での信頼をなくしてはいけない」
「仕事に穴を空けないために、子供の体調管理もしっかりしないといけない」
そんな考えで365日頭の中がいっぱいだったので、正常な思考を持っていなかったことを実感しました。
今は、職場での小さな信頼のために子供を脅して学校へ行かせる必要もないし、しんどかったら休ませてあげられるし、顔色をきちんと見ながら接してあげることができます。
いつからか分からないのですが、ワーキングママの辛さを嫌というほど味わってきた中で、なぜか「働かないことは悪だ」というくらいの意識ができあがっていました。
私の中には働かないという選択肢がなかったから、そう考えてしまったのでしょうか・・・。
でも、そこにあったのは、悪なんかではなく、自堕落な日々でもなく、心穏やかに子供と過ごせる日々でした。
すっかり背が伸びた我が子を眺めながら、ふと、子供の成長は不可逆的なんだな・・・と改めて思いました。