前回の、流産の日帰り手術を受けた記事の続きです。
前回は綺麗なことばかり書いてしまったので、正直な心境を綴ります。
今回の出来事を経て、出産するまでの過程で払う代償が、男性と女性で全く異なることに気付きました。
そんなにも背負うものが違うのに、男女平等の名の下に、男性と同等の重荷(仕事)まで背負わなければいけないお母さんがどれだけ多いことか…。
授かった命を正常に産むことができても、今回の私のように産むことができなくても、これらの出来事が心に与える影響は計り知れないものがあります。
私の場合は6週に入ってすぐに大きな出血があり、赤ちゃんが危ないことが分かっていましたが、もしそうじゃなかったら…。
大きなお腹を抱えていつものように健診を受けに来たお母さんが、思ってもみなかった結果を知らされ、大きな悲しみに心が揺れ動く中で処置を受けることになったとしたら…。
その悲しみとショックは計り知れないものがあります。
生まれてまもない赤ちゃんの泣き声が周りから聞こえてくる中、個室のベッドで手術を待つ時間。
大きなお腹を抱えたお母さんたちと同じ待合室で、呼ばれるのを待つ時間。
どの瞬間も絶望感に埋め尽くされ、もはや心が痛いのかどうかすらも分からなくなります。
私自身、手術が必要なことを告げられ個室に通された時にも涙が止まりませんでしたが、手術台に横になり、次々と取り付けられていく器具を見てまた涙が溢れそうになりました。
私が手術に同意したばかりに、こんな大事になってしまったのだと…。
発育不良だったとしても、6週間お腹の中にいてくれた命が、これからたくさん愛してあげられるはずだった命が取り去られてしまうんだ、と。
処置が終わり休息を取った後の超音波健診のときに、普段はあまり喋らない先生がこう教えてくれました。
子宮から取り出した組織(絨毛)が、通常は固まって出てくるが、かなり劣化が進んでいて、おそらくもう何日も前から発育が止まっていたのだと思います、と。
お腹に残っていた赤ちゃんの芽を手術で無理矢理取り出すことになったことを、後になって悔やまないで済むように、
そして、あと1日待てば育ったかもしれないという期待と後悔を抱かなくて済むように、
この悲しみを乗り越えて、もう一度子供を持ちたいという勇気を持てるように、背中を押してくれたのだと思います。
退院のとき、処置をしてくれた先生が花壇に水やりをしている姿を見ました。
24時間休む間もなく生と死を見つめる過酷な環境で、こんな小さな花にさえ愛を注いでいるのかなと、心が温かくなりました。
手術のことはまだ記憶に新しくて、何度も涙しながらこの文章を綴りました。
この記事を読んでくださった方の中に同じ経験をした方がいるなら、その悲しみを乗り越える一助となることを心から願います。
全てのお母さんたち、女性たちが、神様の近くで安らぎを得ることができますように、救われていきますように祈っています。