心揺さぶられるマリンバの演奏。音楽家としての誠実さとは。

先週末に、子供と一緒に親子コンサートを聴きに行ってきました。

私の住む地域で定期的に開催されている、マリンバ奏者のコンサートでした。

コロナがあちこちで騒がれているこの状況で、開催することを英断した主催者に心からの拍手を送りたいです。

マリンバ2台の演奏は、本当に素晴らしいものでした。

親子向けだからと甘んじることなく、難曲にもチャレンジされていて、その一方で子供が目で楽しめる工夫もされていました。

奏者の演奏を聴きながら、なぜ人間に喜怒哀楽の心情があるのか、それが分かった気がしました。

音楽などの芸術活動は、AIがどんなに発展しても行うことはできないものです。

AIは表情を読み取ったり判断することはできても、共感したり心で感じることはできないからです。

心に湧き上がる感情を素直に感じること。そしてその感情を一切遮るものがない状態で表現する「媒体」になること。

これらを実現するには、大人になる過程で身につけてきた固定概念を取り去ることや、心の中心にいる子供のような素の自分を認めることが必要です。

声楽の先生が何度も教えてくださっていた意味はこういうことかと、体感を通して悟りました。

演奏を聴いていると、何度も頭の中で「もっと素直に感じ、受け取りなさい」という言葉が浮かんできました。

また、マリンバは3メートルほどある大きな木の鍵盤を叩く楽器なので、相当な集中力が必要です。

奏者たちが難曲に挑戦し、その一瞬に心を注ぐ様子を見て「その瞬間に100%を注がないのは演奏者として不誠実だ」と、普段の自分について思い改めました。

今まで、何となく自分が認識しているレベルで線引きをして、それ以上に挑戦しないことが謙虚さだと思ってきました。

私の場合、G(高音のソ)以上がある曲には挑戦しないとか・・・

失敗して周りに迷惑を掛けないためにも「私はこれくらいで良い」、「今日の体調を考えると、ここまでで良い」という考えがいつも根底にありました。

大人になり、周りのレベルを理解するほどその傾向は強くなりました。

でも、それは「レベル以上のことに挑戦して失敗したとき、傷付きたくない」という臆病さの表れでもあります。

生身の人間ですから、生きていれば体調のすぐれない日や気持ちが落ち込む時もあります。

そんな中で一定以上の力を出し続けられるコンディションをキープすること。

音楽家はそこが最低限のラインですが、その上でより優れた芸術を求めてチャレンジし続けること。

当たり前の努力を積み重ね、身体や心の問題を克服し続け、毎日、完全を目指して走ること。

それが本当の誠実さではないかと思いました。

チャレンジしないことには、そのハードルの上にある情報や技術を得る機会も与えられません。

そんなことを思い巡らす、充実した時間となりました。

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