私がこのブログを立ち上げたのは「RAPTブログ」と出会ったことがきっかけでした。この出会いに、心から感謝をしています。
RAPT理論を知ることで、生きることの辛さから解放され、新しい人生を歩み始めることができました。
また、現在はクリスチャンとして生きているのですが、このきっかけについては改めて投稿することにします。
RAPT理論について、いつか家族にも話をしてみたいと機会を伺っていたのですが、先日チャンスが訪れました。
正直なところ、実家に帰るといつもサタン(聖書に出てくる悪魔のこと)の波長ばかり感じるので、できれば帰りたくなのですが、孫を両親に見せるために頻繁に帰っています。
その日は、実家に足を踏み入れるといつも以上にサタン的な波長を感じました。
そこで皆で食事をしている間に心の中で神様を呼び求めたところ、すぐに聖霊が返ってきました。聖霊とは、お祈りをしたときなどに感じる電磁波のことです。聖霊の感じ方は人によって違うのですが、私の場合はふくらはぎや首・背中に痺れやビリビリした感覚が来ます。
◯人間は神様の御言葉によってプログラムされ、聖霊という電磁波によって動く超精密なコンピューターだ。
◯悪魔に打ち勝ち、自分の心身を守る方法。祈って聖霊を受けることが、悪魔を滅ぼす最大の鍵です。
今日はこのあとどうなるのだろう?と思っていたら、子供が父と一緒にお風呂に入ることになりました。
二人がお風呂に入っている間、リビングに母と姉、私の3人が残りコーヒーを飲みながらおしゃべりしていたところ、姉から「スピリチュアルの講座を受けようか迷っている」との話が。
姉はスピリチュアル系の本を読んだり親戚から瀬戸内寂聴のCDをもらって聞いたりと、こういう類の話にハマっているようでした。
これを聞いて私は以下のような内容を伝えました。
- 仏教は正解が曖昧で、「何が正しいか分からない」状態が苦しみの原因じゃないかということ
- 釈迦は教えを文字に表さない人で、それがドルイド教という悪魔崇拝と共通していること
- 仏教も神道も古代ケルトで栄えたドルイド教に由来すること
- ハロウィンの由来が悪魔崇拝であること
- チベット仏教が悪魔崇拝を行なっていること
- 様々なカルト宗教の根っこには大本教があり、そこから生長の家というカルト宗教ができ、日本会議という団体を通してあらゆる政治家と繋がっていること
姉も母も「生長の家」や「悪魔崇拝」というキーワードに衝撃を受けながらも真摯に聞いてくれたようでした。
また、姉は「いろんな人が言うように、世界中が一つの国になって幸せになってほしい」と言うので、その日見たばかりの「KAWATAとNANAのRAPT理論」から、コロナパンデミックの影にスマートシティ計画がある話もしました。
◯【完全解明!!】コロナパンデミックは、大本教・出口王任三郎の計画的犯行だった!!
さきほどのスピリチュアルに関連して、母が姉に「宗教には入るな」と釘を刺す場面があったのですが、その理由は古くからお付き合いしている友人に新興宗教にハマった人がいるためでした。
その友人は、古くから熱心に宗教の教祖に仕えているのですが、ことごとく不幸続きの人生を送っています。そのような状態にもかかわらず、本人は「私は幸せです!」と言い切っており、長年その宗教に通い続けているのです。
また母の他の知り合いにも仏教に熱心な人がいるのですが、その人も不幸の連続の人生を歩んでいるため、母とともに「宗教にハマっている人が誰一人として幸せそうに見えない」という意見で一致しました。
これについて、どう返答すべきか心の中で再度神様に相談しながら、「安易に宗教やスピリチュアルに頼るのではなく自分の中から悪をなくすこと、それをやっていれば力が湧いてくるし、守られるはず」とだけ伝えました。
姉に対しては、過去二回ほどRAPTブログの有料記事を印刷して見せたのですが、特に反応はなく現在に至っています。
「やはり信仰は神様のプレゼントで、それを受け取れる状態にあるかどうか個人にかかっているのだ」と、落胆していた矢先の出来事でした。何かと反論してくる父がいないタイミングで、まさか家族にRAPT理論を伝えるタイミングが来るとは…と驚きました。
先週くらいから、RAPT理論を学び直そうと思い2015年〜2016年頃の記事を読み漁っていたところだったので、ホヤホヤの知識が総動員された形になりました。
姉に関わらず誰もが、幸せに生きる方法、また人生の辛さから抜け出す方法を探して彷徨っているのだと再確認しました。
RAPTさんが朝の祈り会で伝えてくれたように「救い、幸せを望まない人はいない。でも人々に御言葉の価値が分からない場合もあるから、分かるまで伝えなければいけない。」のです。
RAPT理論は膨大な情報量で経済・芸術・科学・その他あらゆる分野に及ぶため、これからも時間をかけて伝えていけたらと思いました。