子育てでは、いくつものハードルをいっぺんに越えようとしない

うちの子供は、夏休み中に学童に行けなくなった時期がありました(詳しくはInstagramの投稿を参照ください)。

◯子供が学童クラブ登所拒否になった話(1/2)

◯子供が学童クラブ登所拒否になった話(2/2)

その後、学校が始まってからは学校にも行きたがらない日がちょくちょくありました。

このことについて様々なことに取り組む中で、いくつか悟ったことがあるので記してみます。

そもそも、自分がその壁を越えたいと思っているか?

私たち自身がやりたい、やろうと思わないと神様は導いてくださらないです。

子供と私の両方がやろう!と決心すると、様々なところで背中を押してくださり小さなハードルを越えられる、ということが何度もありました。

子供は素直だから、不安を取り除き決心できるように助けるだけで大丈夫なのですが、問題は大人です。

自分のルーティンを変えたくない、このままでいたいといった怠惰な気持ちが生まれていないか、確認しないといけません。

ベストを尽くしているか?

自分の中に甘えやサボっているところが残っていると、考えと行動に矛盾が生まれ、歩みが減速します。

私たちの霊は肉体に見えないものが見えているので、このような矛盾に気づき苦しみます。

つまり、甘えやサボっているところがあると、肉的にも霊的にも苦しむことになります。

また、私たちがいつも自分の心を点検し、直すべき性質を直し、より良い自分になれるように努力しているかを神様は見ていらっしゃいます。

神様は、人間が出来ること(責任分担)をきちんと果たしたときに、助けの手を差し伸べてくださいます。

間違った動機が生まれていないか?

そもそも子供が壁を乗り越えて成長することがゴールなのに、違う動機が生まれていることが度々ありました。

特に私の場合、「周りに遅れを取りたくない」とか「世の中が言う良い母親を演じたい」という気持ちが無意識のうちに生まれてしまいます。

それで、いつのまにか良く分からないプレッシャーやを感じて子供を厳しく責め立てたりしてしまい、悪循環になることが多々ありました。

子供を責めながら、なぜ自分はこんなに焦りを感じているんだろう、不必要に子供を責め立ててしまうんだろうと考えていたところ、このことに気づきました。

「小学生はこうあるべき」という枠にはめたり、大人が考える理想像を押し付けることはナンセンスです。

そもそも私たちの常識には嘘がたくさん詰まっているんです。

善悪を教え、霊と肉を守る術は教えてあげる必要がありますが、それ以上の考えを押し付けることは子供を苦しませることになります。

親自身の自己満足のためという動機は、両者にとって一番不幸かもしれないな・・・と感じます。

壁を越えられるタイミングは神様が決めてくださる

上記に挙げたことに取り組み、自分を毎日点検する。子供と過ごしながら祈り求め、義の条件を捧げたらあとは神様を信じて待つ。これだけでいいと悟りました。

私の心から罪(神様と異なる、自分中心や愛のない考え)が取り除かれたとき、職場でも家でも様々なことが起こります。

それはまるで、目に見えない存在がいっぺんに私の周りでたくさんの歯車を動かしているかのようです。

先週からは、子供が休むことがなくなり、毎日学校に行けるようになってきました。笑顔で登校できる日が増えてきました。

子供と一緒に一歩一歩の小さな歩みを続けていると、大人にとっては「学校に行く」という一つのハードルであっても、子供にとっては実は何十個もの小さなハードルがいくつもあるんだなと気付きました。

私たちの霊が成長する過程もこれと同じなのでしょうか。

本当の変化というのは少しずつもたらされるもので、いっぺんにガラッと変わることはないのかもしれない、と感じました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする