たった一本の電話で現実に引き戻される・・・それは保育園からの呼び出し電話。

先月に引き続き、また保育園から呼び出しがかかりました。

子供が嘔吐したため事務室で安静にしているとのことでした。

こうやって呼び出しがかかるたびに、「あのとき職場の先輩はこんな大変な思いをしていたのだな」と思います。

当時は部外者として「小さなお子さんを抱えて働くというのは大変なことなのだな」とぼんやりと思っていましたが、当事者になって初めて分かることがたくさんありました。

仕事に没頭しているときに、一本の電話で現実に引き戻される。

子供のこと、家のこと、仕事のこと。今までギリギリの線で回っていたいくつもの歯車が狂いだし、瀬戸際に立たされる。

思ったように家族が助けてくれない時、見方だったはずの家族が敵にしか見えない。

仕事も家庭もどっちも大事。優劣なんてつけられないのに、両方から「お前はどっちの味方なんだ、どっちを優先するんだ」と難題を突きつけられる。

「これから何日仕事に穴を開けるのだろう」という焦りと不安・・・そんな気持ちを抱えながら、弱った子供を連れて病院に駆けつける。

医者や薬剤師が丁寧にあれこれ説明してくれるけど、頭がいっぱいで説明が頭に入ってこない。

子供に100%の心で接してあげたいけど、子供の顔を見つめながら仕事の段取りばかり考えている自分が嫌になる。

先輩はこんな気持ちだったのでしょうか。

その方は「◯◯さんが会社を動かしている」と言っても過言ではないほど、私の何倍もの仕事や責任を抱えていました。

私は頭も器量もそんなに良くないし、仕事に対する熱意、スキルも先輩の足元にも及ばなかったです。

なので「大丈夫ですよ!私が全てやりますから、お子さんを迎えてください!」と胸を張って伝えることができませんでした。

きっと先輩は仕事に穴を開けないための段取りを必死に考えて、自分を削りながら働いていたのだなと思いました。

私は産後に職場復帰して、あれこれ考えるうちに「信仰生活をきちんと送りたい」「音楽をやりたい」気持ちが勝ったため、その会社を離れることになりました。

その会社は社員に対する思いやりのあふれる職場でしたが、これからの人生を神様に捧げるため、仕事時間や負荷を減らすための決断でした。

現在は正社員からパートになったことや、各個人にきっちり仕事が割り振られている環境ということもあり、仕事を休むことへの罪悪感は減りました。(穴をあけるのには変わりがないのですが、締め切り期間以外はチーム全体が余裕をもって仕事しているので)

今回、呼び出し電話の後に所要時間10分ほどの仕事を片付けてから上がろうと思っていたら、チームの方がそれを引き受けてくれました。本当にありがたいことです。

困難に直面したときや、自分一人ではどうにもできない時、私は神様に祈り求めます。

今すぐに願いを叶えてくださるように、そして神様が「この人の願いなら叶えてあげたい」と思ってくださる人物になれるように祈ります。

その結果、神様が状況を変え、環境を変え、偶然とは思えないアクロバティックな出来事を起こして願いを叶えてくださるという場面を見てきました。

私に危害を加えた人物が目の前で叩きのめされる様子も見ました(笑)。

かつては、カルト宗教のイメージから「信仰とは危ないもの、人間の意思を破壊して廃人のようにする危ないもの」だと思っていましたが、私が今走っている道はそうではありませんでした。

人生が辛すぎて「感情を全て無くして生きなければ、この先心が持たない」と思っていましたが、そんなことはありませんでした。

これさえあればもう何もいらないというほど、心を深く満たすものに生まれて初めて出会うことができました。

絶望感に打ちひしがれている人、心が壊れそうなほどの辛さを抱えている人がいるなら、ぜひ下記の記事を読んでみてください。そのような方にこの道の素晴らしさを伝えてあげたいです。

◯クリスチャンとして生きる

RAPTブログ読者の証言〈VOL.7〉漠然とした悩みや不安だらけの人生から解き放たれた30代女性。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする