ふと思い立ち、宇多田ヒカルの曲を聴いていたら、大切な上司との別れを思い出しました。
新卒当時、あまりにも恵まれていたとしか言いようがない出会いがありました。
私は会社役員の満場一致で、ある一流の方の部下になることが決まりました。
自分自身も社長を経験され、様々な一流の人たちと交流があるような方でした。
紳士的な振る舞い、話し方、部下への接し方、どれを取っても非の打ち所がないような方です。
その方は、入社したばかりでコピーも満足に取れない私をよく育ててくださいました。
毎朝のミーティングで気になった新聞記事をシェアし合うこと。
始業時、就業時には必ずミーティングをして、良かった点、反省すべき点を伝えること。
会社をよくするためにどうしたら良いか、新社会人の新しいアイデアにも耳を傾けてくれる。
叱るときは必ず一対一になれる環境で、悟すように接してくれる。
私の学びになるような本をプレゼントしてくださる。
などなど、挙げればきりがないほど様々なことを与えてくださいました。
その方が在籍された短い期間で、部下になれたのはただ一人、私だけでした。
(なぜ役員たちが私を選んでくれたのか、今になっても不思議です。)
しばらくして、その方が会社を離れることになりました。
あまりにもショックが大きかったのに、私は自分の気持ちを誰かに話したり、表現することができませんでした。
ただ忙しさにかまけて過ごす間に、その方とお別れする日を迎えました。
いつも客先へ行くときのように、では行ってきますと挨拶をして、その方は会社を去ってしまいました。
今まで気づきませんでしたが、その時に感じた「育ててくれる方に捨てられてしまった」という悲しみは、相当大きなものだったみたいです。
宇多田ヒカルの曲を聴いていたら、心の中に大きな穴が空いていたことに気付きました。
そして、その時から神様のことを知っていたらそんなことにはならなかったのに…
当時は大切な上司を失った寂しさ、彼氏と別れた寂しさ、仕事の辛さ、様々な波が押し寄せてきて、現実逃避するために異性の罪(結婚していない男女が性的な関係を持つこと)を犯すことになりました。
このことがどれだけ人生を狂わせてしまう罪なのか、私は嫌というほど思い知ることになりました。
心の寂しさを埋めてくれるのは異性からの愛。
そう思って生きてきましたが、それが完全に誤りであること、異性の愛を遥かに凌ぐ、人生をすっかり変えてしまうほどの愛があることを教えてもらえたことが、私にとって何よりも大きな救いでした。
参考記事: