愛されているなと思う瞬間

信仰を持つようになって一番変わったのは、心の状態です。

RAPT理論を学ぶことによって、この荒波しかないような大変な世の中でどのように生き、自分の心を守っていけばよいかが分かり、信仰を持つことによってどのように自分の人生を作っていけばよいかが分かりました(よろしければ以下の記事もご参照ください)。

◯クリスチャンとして生きる

◯RAPTブログ読者の証言〈VOL.7〉漠然とした悩みや不安だらけの人生から解き放たれた30代女性。

神様が側にいて導いてくれている、また愛されていると思う瞬間がたびたびあります。

ある時は職場で、新しい仕事が覚えきれなくて「前任者の退職日が迫っていて、この仕事をこれから自分がやっていけるかどうか不安で仕方がないです」と心の中で告白したところ、その不安を払拭するような出来事がいくつも起こりました。

また、新しい職場は表立って私語を話す方が少なく、皆大人しい方ばかりなのでそれに従っていたのですが、「もっと周りとコミュニケーションを取った方がいいのかな・・・」と心の中で呟いたところ、その後数人の方が向こうから話しかけてくれる出来事がありました。

さらに、家でプチ反抗期を迎えている子供と上手くいかず、叱ってばかりいる自分に嫌悪する事も多く、「こんな未熟で出来ないことだらけの母親の元で育って、子供が可哀想に思えてきます」と心の中で伝えたところ、直後に何の脈絡もなく子供が満面の笑みを見せ「◯◯、幸せー。お母さん、幸せー」と言ってくれることもありました。

ここに挙げるとキリがないくらいなのですが、そんな時、これらが神様からのプレゼントだと気づき感謝すると、温かい波長が返ってくるのを感じるのです。

こんなことを書いても信仰を持たない方には、神様なんて得体の知れない空想上の生き物にしか思えないでしょうし、その神様が人類を愛していると言われても眉唾ものでしょう。

そんな方には、ぜひ以下の記事を一度読んでいただきたいです。

◯RAPT有料記事120(2016年11月14日)神様を愛する資格があるのは誰か。本当の愛とは何か。なぜ主の前では多くのものを捨てなければならないのか。

記事の中では人類に対する愛と情の深さについて触れられています。

「その愛情は、もはや言葉では説明することができない」

「私はあなたたちの愛はすべて受け取る。どんな愛だろうと全て受け取る。そして、あなたたちが私を愛してくれた分、私は倍にして返してあげるだろう。自分に私のことを愛する資格がないと思わないでほしい。」

これらの言葉にどれだけの愛が詰まっているか、どうかご覧になってみてください。

この世のどんな享楽も与えることができない、心が満たされる感覚がここにあります。

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