終戦の日

今年も終戦の日がやってきました。

この日に靖国神社近くを通ると、参拝客がたくさん押し寄せ、汗を拭き拭き歩いている姿が見えます。

最近、年配の方とランチを共にする機会があり、第二次世界大戦の終戦当時のお話を伺うことができました。

その方は終戦当時3歳くらいだったそうですが、とにかくお腹が空いていて自分の服をしゃぶってしまい、穴を開けては怒られた、と話しておられました。

そのお話を伺い、戦時中や戦後の貧しい時代にもお母さんたちは子供を守り育て、命を紡いできたこと、そのお陰で今の私があるのだと大きな感謝を感じずにはいられません。

子供を守りたくても守れないときや、お腹いっぱい食べさせてあげられない時もあったでしょう。また、大事な人が命を落とす場面も沢山あったでしょう。

自分たちに責任があるわけではないのに、そのような過酷な状況を耐えてこられた先人達を思うと、胸が締め付けられます。

調べてみると、8月15日の朝にゼロ戦で飛び立ち、20歳の若い命を落とした青年もいたそうです。

◯<つなぐ 戦後75年>終戦日の朝 20歳で戦死 飛行兵の最期たどる

「お国のために」、「天皇のために」日本人は健気に命を捧げてきたのだな、と改めて感じました。

この天皇については、RAPTブログの登場により善人ではなかったことが暴かれてしまいました。

RAPT×読者対談〈第38弾〉関ヶ原の戦いも明治維新も第二次世界大戦もすべては源平合戦だった。

RAPT×読者対談〈第51弾〉天皇支配という悪夢のカラクリ。

天皇が行う「大嘗祭」はまさに悪魔崇拝そのものです。

今の時代、人を殺すのに武器は必要ありません。

誤った情報や心理的な方法で人を追い詰め、私に至らしめることができます。

そうならないためには、「周りがそう言っているから」、「テレビがそう言っているから」と同調するのではなく、自分で調べて自分の頭で考えることが必要です。

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