練習が足りないというより、愛を悟れていない

音楽理論を勉強し始めて、1年以上が経ちました。

そんな中、今、2回目の壁にぶち当たっています。

課題をクリアすべく試行錯誤しているところなのですが、朝、子供を学校に送り出してからピアノに向かって練習していたら、ふと気付いたことがありました。

練習が足りないのではなく、ただ、愛を悟れていないのだと…。

これまでも音楽は私にとってかけがえのない親友でしたが、これから会う人たちにとって、音楽は第二言語のような、コミュニケーションの手段になるはず。

私の音楽を聴いてくださるであろうその方々への愛が足りないから、ただの義務感で行っているから、いつまでも知識がものにならないのだと分かりました。

音楽は、言葉を越えたコミュニケーションです。

そしてその音楽は、とても大きな力を秘めています。

終戦後のアメリカで始まった音楽療法には、数々のエビデンスがあり、セラピストが患者を想い奏でる音楽が、ただの気休めではなくはっきりと目に見える効果を挙げることが分かっています。

◯音楽療法のエビデンスとは?

◯音楽療法とは? 定義・実践・誤解について 

私自身、これまでの人生で、とても大きな愛を受けてきました。

親からはもちろんのこと、学校や会社で接して育ててくれた方、たくさんの方から愛をもらってきました。

そして、この世界にはさらに大きな愛が確かに存在し、私たち人類の歩みが始まった時から、常に私たちに注がれてきたことを知りました。

私たちの周りにある美しい世界、景色がそれを示しています。

その愛を伝えたくて、私は30歳半ばで生き方を変える決意をしました。

これから会う人たちにどれだけの愛を伝えられるか。

それが、今この瞬間の生き方にかかっているのだと、改めて認識しました。

より良い自分を作るべく、歩みを続けたいと思います。

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