2019年春頃から、近隣の文化センター施設にてボランティアの演奏活動を行っています。
約3ヶ月に一度ペースですが、歌、バイオリンのみの編成だったり、ピアニストに来てもらうときもあります。
ボランティアでもいいから自主的な活動をしたいと考えていたところ、メンバーから一緒に行かないかとのお誘いがありこの活動を始めました。
歌を通して伝えたいこと
私は毎日、また何か特別なことがあるときには神様にお祈りをする習慣があります。
初めて演奏に行く日に、車で会場に向かいながら心の中で神様にお祈りしました。
「今日は、お年寄りの方の前で歌を披露することになっています。どうか精一杯のパフォーマンスができるように守ってください。また、神様はこの方たちに何を一番伝えたいですか。」と聞いたところ、「愛している」という答えが2回返ってきました。
クリスチャンでない人には信じがたい話だと思うのですが、神様は人間と相思相愛になりたいと思ってこられました。
ここで言う愛とは、異性同士の心がドキドキするような愛とは異なります。
一言では表しきれませんが、その愛とは相手が自分の持つ個性を最大限に発揮できる人生を歩み、心満たされて生きられるように望む心、またかけがえのない存在として大切に思い、お互いの夢を叶え合う関係になりたいと願う心のことを言います。
今、世の中はコロナパンデミックの影響もあり人々がお互いを思いやる心が冷めきってしまっています。
また、多くの人が人生のほとんどの時間を仕事に取られ、家に帰る頃には頭も身体も疲れ切ってしまい、何かクリエイティブなことをする気力も湧かないという状態ではないかと思います。
その結果、空いた時間にゲームや音楽、買い物、スピリチュアルなどにハマって自分探しをしたりと様々な刺激を求めるけれど、心は虚しくなるばかり。
責任感ある人ほど平日だけでなく休日も仕事に頭が縛られ、休んだのか休んでいないのかよく分からないまま重い身体を引きずって会社に行く。
子育て世代は仕事と家族サービスの比重に苦しみ、疲弊しきってやっとの思いで老後を迎える。
しかしいざ老後を迎えてみたら、自分に何の個性も趣味もないことに気づき、夫婦関係も冷め切っていて絶望しながら有り余る時間を過ごす。
このような心の虚しさ、人生の虚しさに耐えられずに自殺してしまう人もいます。
信仰は、そんな世の中において現実的な問題に対処し、心を守る方法、物事の真理を見抜く方法、また見えないものを味方につけていく方法を教えてくれます。
◯この世のカラクリがある程度分かってきたので、今後はこの世をどう変えていけばいいのか具体的に考えていきたいと思います。
(上記リンクの後半「我々の本当の敵は、彼らの背後にいる「悪魔」なのです。」以降を参照ください)
上記リンク記事にはキリスト教に関する記述が出てきます。
かつて私は宗教を信じると心が破壊されると思ってきたので、クリスチャンになったのは本当に偶然が重なった結果でした。詳しくは以下の記事をご覧ください。
さて、ボランティア演奏の話に戻りますが、さきほどのお祈りの返事に感動しながら会場に着きました。
会場に入ると、10数人のおじいちゃん、おばあちゃんたちが歌謡曲を歌っています。
この歌謡曲を歌う会の最後に、私たちのミニコンサートを行うことになっています。
時間が来て、日本歌曲、イタリア歌曲、歌謡曲などを演奏しました。
お年寄りの方達は私が第一声を発すると一斉に目を丸くし、時には涙しながら、目を輝かせながら聞いてくださいました。
コンサートが終わってお年寄りの方にお見送りの挨拶をすると「本当に幸せです!またお願いします!」と興奮気味に仰ってくれる方もいました。
別の機会に訪問した際にも、歌い出したとたんに最前列のおばあちゃんが突然泣き出し、周りがびっくりする場面もありました。
また、昨年秋頃に近隣の団地主催の小さな音楽祭があり、声をかけていただき参加しました。
選曲も良かったのかもしれませんが、片手では足りない程のお客様が涙しながら聴いてくださいました。
これらの活動もすべてボランティアだったのですが、この音楽祭の後、歌謡曲を歌う会のお年寄りの方たちが心付けをくださいました。
そこに集まるお年寄りの方は、ほとんどが年金暮らしのはずです。
その方たちが少しずつお金を持ち寄って準備してくださったのだと思うと、とても大きなプレゼントをいただいたのだと大きな感謝を感じました。
次回はどんな仕掛けでお年寄りの方たちを喜ばせようかと、案を練っているところです。
現在はコロナの影響で会はお休みですが、また次回、たくさんの笑顔に会えることを心待ちにしています。