子供を持つ母親として信仰生活を送る

本日もクリスチャン向けの内容です。

前回の記事に書いた、祈れない、頭が霊的にならないという不調から回復してきました。(前回の記事はこちらからご覧ください)

今回の不調の最大の原因は、高慢の罪でした。

自分の計画が正しいかどうか、神様の御心を確認せずに様々なことを進めようとしていたこと。お祈りの中でろくに悔い改めができていなかったこと。

2017年5月の御言葉を聞き、それらを悟ることができました。

◯RAPT有料記事169(2017年5月6日)小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実だ。

その後、頭の中が段々と霊的な状態に戻りつつあったので、改めて最新の御言葉を聞きました。その情報量、次元の高さ、どれを取ってもこの御言葉が人間の頭で考えられたものではないことを改めて悟り、息をのみながら読み通しました。

さて、表題の話に移りますが、私は今保育園児をかかえる母親です。

家族と一緒に暮らしながら信仰生活を送っているので、独り身の時と比べると乗り越えるべき障壁が多くあります。レビ人や兄弟姉妹の信仰生活と自分の現状を比べ、そのレベルの低さに愕然とすることも多いです。「主人も子供もいない場所で信仰生活を送りたい」と何度願い求めたか数えきれないくらいです。

でも、そのたびに神様は「それは違う」と聖霊や様々な出来事を通して教えてくださいました。(そのような時、神様はたびたび子供を通して教えてくださいます。)

神様は、一人一人が置かれている状況を詳細に把握されていて、それぞれが乗り越えるべきハードルが異なることもご存知です。

だから、子供を持つ私には一人暮らしの女性に求めるものとは異なるハードルを設定されています。子供を持つ母親として信仰生活を送り、その中で得たことを自分の財産にし、周りの人々へ分け与えていくこと。神様がそう願っていらっしゃることを悟りました。

例えば昨日は、以前から決めていた断食祈りの日でしたが、子供を予定以上に早く迎えることとなり断食を中断することになってしまいました。

子供をお迎えに行く途中で、神様に謝りながら「今日は断食祈りを中断することになってしまいます」と打ち明けたところ、すぐに聖霊が返ってきました。

「予定通りに断食祈りができないことで、またイライラして心の罪を犯してしまいそうです」とも伝えたところ、「予定していた状況と変わったから、その中でイライラしながら断食を続けなくてもよい」、「子供ときちんと向き合いなさい」と悟らせてくださいました。

また、子供と一緒に過ごす時間は、楽しいだけでは済まされず、イライラしてしまう場面も多くあります。子供の意思が出てくれば、イライラの割合もどんどん大きくなります。

でも、神様はこの子育ての時間こそが、私の根っこにある悪い性質(待てない、すぐに怒る、臍を曲げると絶対に譲らない)を変えるチャンスであると悟らせてくださいました。

子供の意思をきちんと尊重して接し、忍耐力を養い、子供に善と悪をはっきりと教えること。そのようにして自分の心を鍛え、歪んだ親子の愛ではなく正しい愛によって子供の心を育て、教え導くこと。

そのための時間であると悟らせてくださいました。

お祈りしながら高慢の罪に気づいたとき、私の毎日が「子育てを通して心の中が悪い考えに満たされ、心の罪を犯しまくる時間」になっているという事実に気付いて愕然としました。あまりのショックに心が壊れる!と思ったのですが(笑)、その後も続けて祈っていたところ、今回の悟りを与えてくださいました。

一人一人の状況に合わせて導き、見守り、時には厳しく諭してくださるその深い愛に、心からの感謝を捧げます。

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