ふと、営業職をしていた頃のことを思い出したので綴ってみます。
以前、私が営業職として働いていた会社が企業を買収したことがありました。
それに伴い、新しく客先として加わったお客様のところへ挨拶回りをしました。
私が担当させてもらったお客様は、小さな会社が多かったので、挨拶に伺うと社長自ら対応してくださることが多かったです。
20代の女性が50代、60代以上の社長(男性)のところに挨拶に行くのですから、不躾にされる方はまずいませんでした。
当時、私は仕事で上手くいかないことばかりで毎日悩みながら仕事をしていたので、親身に対応してくださる方を見つけるとこれは良い機会と言わんばかりに仕事の相談をしていました。
(今考え直すと、初対面の相手にそんな相談をするなんてなかなかの度胸ですよね・・・)
大きな悩みの種だったのは、買収に伴い新しく社員・パートとして加わった人たちが指示通りに仕事をしてくれないことでした。
それによってお客様からのクレームが倍増し、その対応に追われていたのです。
「新しく社員として加わった人が指示通りに動いてくれないとき、社長だったらどのように対応されますか?」
訪問した先で、とある社長に正直に聞いてみました。
すると、穏やかな口調で話すその方から意外な一言が飛び出しました。
「同業他社で働いていた人は、すべて辞めさせるべきです。それ以外に根本的解決方法はないです。」
私はびっくりしてその理由を尋ねました。
すると・・・
「同じような仕事を違うやり方で長年やってきた人の考えは、なかなか変わらない。大きな労力をかけて新しい仕組みを覚えてもらうより、まったくの新人を雇った方が会社のためになる。」
会社のためを想うなら、時に冷徹な判断をせよ。その方がお客様と会社両方のためになるということだったのです。
そして、人の頭にこびりついた考えや体質はそうそう変わることがないということを長年人を雇う立場から悟っていらっしゃったのです。
温厚な雰囲気を纏いながら、そのような冷静な判断を積み重ねて会社を経営されてきたのだと分かり、心を打たれたのを覚えています。
今になって考えると、ある社員が会社に貢献できないと判断されるならば、早めに別の仕事を探してもらう方がその方の人生の時間を無駄にしないで済むのかもしれないし、周りへの悪影響も最小限で済むのだと気付き、改めてその判断に感服しました。
聖書の詩篇にもこのような記述があります。
主が命じられたにもかかわらず 彼らは諸国の民を滅ぼさず 諸国の民と混じり合い その行いに倣い その偶像に仕え自分自身を罠に落とした。
彼らは息子や娘を悪例に対するいけにえとし 無実なものの血を流した。
カナンの偶像のいけにえとなった息子や娘の血は この血を汚した。
(『詩篇』106章34節〜38節)
悪魔を信仰する諸国の民を滅ぼさなかったことで、神様を信じる者たちが罠に落ちたという記述です。
当時の仕事は大変辛かったですが、このような貴重な経験をたくさんさせてもらったことは私の中で大きな宝物です。
参考記事: