先日、有機野菜や食養、スピリチュアルを学んでいる方と話をしました。
それを受けてその方に手紙を書いたのですが、同様な状況にいる人も多いのではと思い、ここにご紹介させていただきます。
◯◯さんが言っていたように、私も良い言葉をたくさん吸収することで明日の自分が作られると思います。これからも続けて、良い言葉に触れていって欲しいと思います。
身の回りにあるたくさんの言葉について、以下のような観点で本物かどうかを見定めることをお勧めします。
- その言葉は理にかなっているか
- その言葉に従うことで結果を残した人がいるか
- 心が救われるだけでなく、身の回りに起こる現実的な問題に対処する方法が示されているか
花を咲かせるためには、種を播き水をやらないといけません。種も水もないところに花は咲きません。
良い結果を出したいなら、その原因となる行動を起こさなければいけないのです。
その言葉に”目覚める”、”愛されている”、”信じるだけで”などの曖昧な実践方法しか書かれていないかどうか、考えてみてください。
残された人生の時間(残りの命)を費やす価値があるかどうか、見定めてください。
人の悩みや健康問題は、しばしばビジネスの種になり得ます。
一部の民間療法や宗教は、単に呼び名がビジネスでないだけで実際はお金を集める仕組みにすぎないものもあります。悲しいけれどそれが現実です。
心に響く言葉はこの世に溢れているのに、未だ人々の心から悩みが消えないのはなぜでしょうか。
それは、その言葉が時代に合わなかったか、本物ではなかったということです。
心に響く言葉は、ペンと紙とちょっとの知恵があればすぐに書けます。でも、結果を残せる言葉となるとどうでしょうか。
その言葉には、心が救われる方法だけでなく、日々起こる問題に対処する方法、健全な心を守る方法、実力をつける方法、モチベーションを保つ方法、十人十色の個性を生かして生きていく指針が示されているでしょうか。
これら具体的な方法が示されていないのであれば、残された人生の時間で結果を残せる可能性が低いのではないかと思います。
つまり、心に響く言葉が本物なのではなく、結果を残せる言葉が本物なのではないでしょうか。
心が正しい方向を向いた状態で努力するなら、明日すぐには結果が出なくても、1ヶ月後、3ヶ月後には何らかの結果が出ているはずです。
スピリチュアルによっては”チャレンジ”や”努力”という言葉が否定されるので、いまいちピンと来ないかもしれませんね。
”努力”ではなく”結果を受け取るために捧げる時間”と考えてみても良いかもしれません。
また機会があればこんなお話もさせてください。
ちなみに、その方が傾倒する人脈には生長の家から分派した宗教が絡んでいました。
その関係で送られてきた雑誌を読むと、「人間は生まれながらにして神性を持つ」、「目覚める」、「愛されている」、「世界平和運動」、「人類はひとつになれる」、「光明」といった耳障りの良い言葉が並んでいます。
皆誰でも争いより平和、疎外より愛を求めるものです。私もこれらの言葉自体が悪いものであるとは思いません。
ただ、自分の心を守るためには、これらの運動の中核にはどのような思想があるのかを知っておく必要があります。
スピリチュアルにおいて「光明」とは、仏が発する光、明るい希望などと良い意味で用いられますが、この「光明思想」は、カルト宗教「生長の家」が掲げているものです。
生長の家といえば、虐待を肯定し、基本的人権をなくすこと、戦争を宗教行事としてなくてはならないものと掲げる狂った宗教です。
◯カルト宗教団体「生長の家」は「凶悪犯罪」・「詐欺」の巣窟です。
かのJAL123便墜落事故も意図的に起こされたものであり、宗教的な理由から犠牲者を520という数字に合わせるため、まだ息のある人々を薬剤散布により殺害し、ガスバーナーで焼くということが行われました。そして、生長の家人脈である稲盛和夫や前原誠司によってその真相が闇に葬られ、再調査の結果「後部圧力隔壁の損傷が原因である」という従来どおりの結論が出されました。
◯「JAL123便墜落事故」の真相を闇に葬り、暴利をむさぼった犯人は「生長の家」です。
◯JAL123便墜落事故の真実を「墓場まで持っていく」と言った中曽根康弘こそ、JAL123便撃墜の首謀者ではないのか。
スピリチュアルの源流にはこれらカルト宗教の思想があり、耳触りの良い言葉でオブラートに包まれて人々を惑わせているのです。
そのため、本来人の心を救うはずのものが救いのないものと化してしまっているのです。
言葉は、人を救うことも地獄へ落とすこともできます。目の前に並べられた美しい言葉が本物かどうか、見定めてみてください。